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美のなごり─立原正秋の骨董
価格 2,940円(税抜2,800円) ISBN 4-87358-089-7 C0072
著者 立原潮
発売 神無書房
サイズ 185mm×225mm
初版発行 2004.3.8

作家・立原正秋は、生活のすみずみまで独自の美学を徹底していた。
蒐集した美術品は、多くの作品に影響をおよぼし、いくつかの小説を生んできた。
「懐石 立原」の主である著者が、愛用美術品とそれにまつわる作品をとおして、蒐集者たる父・正秋の美へのまなざしについて、記憶を呼び起こし書き留めた随筆集。
33年間寄り添い暮らした正秋の妻・光代は、立原家の日常生活を思い出いっぱいに語っている。
カラー写真による、李朝・高麗を中心とした蒐集品約30点と、自筆の色紙・箱書きなども併せて掲載している。カラー・モノクロ128ページ。



冬の風 立原正秋覚え書き

李朝白磁大壷 φ420×H440mm
 ある冬の夜、大壺を八帖の畳の部屋の中心において正秋といっしょに眺めた。光が壺の胴まであたり、胴上と胴下のふたつの乳白色がこちらの裡(うち)なる襞(ひだ)に入りこんできた。光の乳白色は美しかったが、蔭の乳白色は深く沈みこんでいた。何百年も経たこの壺にも光と蔭はあったと思う。
 正秋は、ひとこと疲れたと言って書斎に戻って行った。なぜ疲れたと言ったのか私にはわかる気がした。正秋は小説家として焼物を美の対象として眺めていた。それは数寄者とか骨董趣味の人たちとあきらかに見かたが違っていた。焼物を手のなかに入れてなでまわすような所作はあまりしなかった。焼物と一定の距離をおいていた。気がむくと白磁の壺に春ならば梅を、秋ならば薄などをなげ入れていた。対象物を記憶の残像にしっかりきざみつけておくので、たえず眺めるということはしなかった。
 一定の空間で白磁の壺とあいたいしたとき、壺があまりにも強い視線をはなったので、正秋は疲れたと思う。
立原 潮
「美のなごり」12-13ページより



日々の暮らしのお話
 李朝白磁の大壺が、書斎に置かれておりました。立原は、この壺の美しさに想を得て何作も作品を書いたようですが、よく厭(あ)きもせずにじっと眺めておりました。あるとき、身じろぎもせずに見つめていたのですが、あまりにも長いので、思わず余計なひとことを言ってしまったことがありました。
 「よく、厭(あ)きませんね」。
 私がこう言うと、立原ははじめて壺から視線をはずし、真顔で「なんだ、壺に妬いているのか」と、言ったのです。
 李朝初期の作品というこの大壺は、わずかに青みがかった乳白色の肌を持ち、肩のあたりになんともいえない表情の少しいびつな曲線をもっていました。見つめていると、私でさえ思わず抱きしめたくなるような気分にさせられる不思議な壺でした。その惹きつけられるような美しさは、確かに憎らしいほどだったのです。
立原光代
「美のなごり」68-69ページより

■ 立原正秋蒐集品 資料 ※本書にカラーで掲載されています。
10頁 李朝白磁大壺 胴径42cm 高44cm
16頁 高麗青磁碗 径14.2cm 高5.2cm
17頁 高麗青磁平鉢 径18.7cm 高4.5cm
18頁 李朝堅手黒象嵌馬上杯 径10cm 高7.4cm
19頁 李朝染付文字文壺 口径4.7cm 高9.6cm
24頁 李朝三島暦手平瓶 胴径18.7cm 高9.8cm
25頁 李朝無地刷毛目茶碗 銘(晝の月) 径13.6cm 高6cm
26頁 李朝三島印花平皿 径20.4cm 高4.4cm
27頁 李朝白磁壽文面取鉢 径14cm 高8.5cm
28頁 高麗青磁陰刻鉢 径18.9cm 高5.6cm
32頁 高麗青磁象嵌花文香合 径8.5cm 高3cm
33頁 高麗青磁鉢 径18.5cm 高6.3cm
34頁 李朝染付松竹梅文瓜形壺 口径8.5cm 高12.6cm
35頁 高麗青磁盃 口径7.2cm 高5.6cm
36頁 李朝染付祭字文台皿 径17.6cm 高6.8cm
37頁 李朝刷毛目盃 径9.8cm 高4.7cm
46頁 古染付唐草文角皿(上)
古染付花兎皿(中)
古染付鶴文角小皿(下)
縦13.1cm 横13.1cm 高3.8cm
径12.5cm 高3cm
縦7cm 横7cm 高2cm
47頁 李朝三島暦手徳久利 高15.7cm
48頁 宋白磁輪花小皿 径11cm 高3cm
49頁 李朝白磁透彫雲龍文筆筒 径10cm 高12.7cm
50頁 李朝花三島茶碗 径13cm 高5.6cm
51頁 古伊万里瓢形徳久利 高20cm
55頁 李朝鉄砂文字文盃(明川窯) 径8cm 高4.2cm
56頁 李朝白磁面取祭器 径21.5cm 高7.8cm
62頁 唐津詩文湯呑み(正秋書) 径6.5cm 高8cm
63頁 唐津詩文皿(正秋書) 径21.7cm 高4.5cm
64頁 九谷詩文花入(正秋書) 高10.2cm
80頁 白磁盃(小山富士夫 作) 径6.5cm 高3.7cm
81頁 朝鮮唐津割山椒向付(金重素山 作) 径15.5cm 高7.5cm

■ 立原正秋 略年譜
大正15年
(昭和元年、1926年)
1月6日、朝鮮(現在の大韓民国)慶尚北道安東郡西後面耳開洞に、父金敬文、母権音伝の長男として生まれ、胤奎(イユンキュウ)と名づけられる。
昭和6年(1931年) 5歳 7月22日、父死去。
昭和10年(1935年) 9歳 春、母が弟と異父妹を連れて横須賀に移住。
慶尚北道亀尾町の医師で母の実弟、権泰晟[永野哲秀]に預けられる。
昭和12年(1937年) 11歳 12月、横須賀市の母の婚家先、野村家に移る。
昭和13年(1938年) 12歳 1月、衣笠尋常高等小学校尋常科5年に転入。
昭和14年(1939年) 13歳 4月、横須賀市立商業学校(当時は私立)に入学。
この年より町の道場で剣を習う。仏典に親しむ一方、文学書に親しみ始める。
昭和15年(1940年) 14歳 創氏改名令により金井正秋を名のる。
昭和17年(1942年) 16歳 のちに妻となる米本光代と接する。
昭和18年(1943年) 17歳 12月、横須賀商業学校5年次繰り上げ卒業。
昭和19年(1944年) 18歳 3月から6月、京城、安東などに赴く。
11月、初めて奈良を訪ね、古寺に心惹かれる。
昭和20年(1945年) 19歳 4月、早稲田大学専門学校法律学科に入学するが、勤労動員に明け暮れる。
昭和21年(1946年) 20歳 4月、小説家を志し、早稲田大学文学部国文科の聴講生となる。
同大学の創作研究会懸賞小説に応募し、「麦秋」が入選するが、創作集は発刊されず、原稿は行方不明。
昭和22年(1947年) 21歳 4月、横須賀の米本宅で光代と結婚生活に入る。
昭和23年(1948年) 22歳 7月、長男潮誕生。
同月、婚姻届、長男の出生届を出す。
日本の古典を集中的に読み始めると同時に、小説を書き始める。
2年後、T・Sエリオットに親しむ。
昭和26年(1951年) 25歳 丹羽文雄主宰の「文学者」十月号に、立原正秋名で活字になった最初の作品「晩夏-或は別れの曲」が掲載される。
現存する処女作。
昭和28年(1953年) 27歳 4月、長女幹誕生。
昭和30年(1955年) 29歳 鎌倉市大町の町内会の夜間警備員となり、足掛け3年つとめる。
昭和31年(1956年) 30歳 「近代文学」8、9月号に「セールスマン・津田順一」を発表。
12月、同人雑誌「近代」を創刊、エッセイ「イエスとユダについて」を発表。
昭和32年(1957年) 31歳 9月、「近代」2号に「梔のある家」を発表。
この年までに約7千枚の草稿を書きためる。
昭和34年(1959年) 33歳 「群像」12月号に「他人の自由」を発表。商業文芸誌への初掲載。
昭和36年(1961年) 35歳 2月、「八月の午後と四つの短編」で「第2回近代文学賞」受賞。「白い罌粟」脱稿。
昭和37年(1962年) 36歳 この年、さらに約3千枚の草稿を書きためる。
昭和39年(1964年) 38歳 「新潮」5月号に「薪能」発表。芥川賞候補となる。
9月、初の単行本『薪能』上梓。
11月、同人雑誌「犀」創刊。
昭和40年(1965年) 39歳 「新潮」4月号に「剣ヶ崎」発表。芥川賞候補となる。
9月、「別冊文藝春秋」第93号に発表した「漆の花」が直木賞候補になる。
12月、「別冊文藝春秋」第94号に「白い罌粟」を発表。
昭和41年(1966年) 40歳 7月、「白い罌粟」で第55回直木賞受賞。
昭和42年(1967年) 41歳 9月、川端康成を長谷に訪ねる。「犀」終刊。
昭和43年(1968年) 42歳 5月、読売新聞で、初めての新聞小説「冬の旅」の連載が始まる。
8月、第7次「早稲田文学」編集長を引き受け、翌年は「早稲田文学」に精魂を傾ける。
昭和45年(1970年) 44歳 1月、「早稲田文学」編集長を辞任。
7月、鎌倉市山崎梶原山東ヶ谷の新居に移る。
昭和47年(1972年) 46歳 5月、スペイン、ポルトガル旅行。11月、ギリシャ、イタリア旅行。
昭和48年(1973年) 47歳 3月、日本経済新聞に「残りの雪」連載開始。
5月、29年ぶりに韓国を訪ねる。
昭和49年(1974年) 48歳 6月から12月まで東京新聞の文芸時評担当。
昭和50年(1975年) 49歳 3月、母死去。
昭和51年(1976年) 50歳 1月より12月まで「藝術新潮」に「日本の庭」連載。
昭和52年(1977年) 51歳 11月、日本経済新聞に「春の鐘」連載開始。
昭和53年(1978年) 52歳 5月、処女詩集『光と風』刊行。
昭和54年(1979年) 53歳 5月、中国旅行。
10月、読売新聞に「その年の冬」連載開始。この頃より身体不調。
昭和55年(1980年) 54歳 2月、書き下ろし長編『帰路』刊行。
S・コールの英訳『剣ヶ崎・薪能・流鏑馬』刊行。
4月、聖路加病院に入院。5月、東京女子医大病院でバイパス手術を受ける。
6月、立原姓に改めることを許可される。
8月12日、食道癌のため国立がんセンターで死去。
9月8日、北鎌倉東慶寺で葬儀・告別式。
12月、鎌倉瑞泉寺に葬られる。
(武田勝彦 編)

著者: 立原潮(たちはら・うしお)
1948年7月9日 立原正秋の長男として鎌倉に生まれる。京都花背の摘草料理「美山荘」をはじめとして、各地で料理の修業を重ねる。1991年 東京恵比寿に懐石「立原」を開く。
●主な著書
 『料理と器 立原正秋の世界』(編書 1994年 平凡社)
 『立原正秋の空想料理館』(1998年 メディア総合研究所)
 『美味彩菜 立原潮の野菜料理塾』(2002年 メディア総合研究所)
●懐石「立原」
 〒150-0021 東京都渋谷区恵比寿西1-16-8 B1 Tel 03-5489-1588

■ 美のなごり 立原正秋の骨董
初版発行 2004年3月8日
著者 立原潮
写真 秋元茂
企画・編集 株式会社イースト・ミート・ウエスト
装丁・デザイン 八木健夫 株式会社オフィス・ピーアンドシー
発行人 青山益朗
発売元 株式会社神無書房
〒105-0001 東京都港区虎ノ門5-1-5 虎ノ門45MTビル
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