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古くは奈良県唐古遺跡から高杯、鉢などの出土があったが、その後しばらくロクロを用いて製作したとみとめられる確実な例は知られておらず、当初は朝廷を支配する豪族たちだけのごく少数の高価な品であったと思われる。
ろくろ製品が一般民衆の暮らしの中に取り入れられるようになるのは、ロクロ職人が木地師と呼ばれる次の時代まで長い時間がかかったためである。
また、木地師の他に挽物師、ロクロ師ともよばれ特異な社会を形成し、法隆寺の百万小塔は(764年-770年)
6年間で作った代表的な木地師達の仕事で、単純に1日に467本生産したことになり、驚くべきことであった。しかし、まだまだ木地師達のほとんどは、国中央の直営の造寺の工房にいたが、庶民を対象に椀などを製作するものが、惟喬親王(文徳天皇第一王子)ろくろの神様と崇め(近年においても信仰されつづけている)由来記、由緒書、免許状、往来手形といった職の特権をみとめた文書などをあたえられ、全国のどこの山でも自由に入り木を伐って商売をした。
中世から良木をさがし山から山への生活も明治に入り、世の中が大きく変貌し戸籍の間題、山林の所有権の問題などのため日本全国商売自由という特権は認められなくなり、次第に定住をする事となり現在に至る。又、ろくろ(木工挽物)の仕事をする中から、国の重要無形文化財という、偉大な人も誕生している。
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