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木曽は木の国 (木曽五木の話)
楯勇志


『木曽路はすべて山の中である』とは文豪島崎藤村の『夜明け前』の一節である。南北80キロ、連綿とした谷底に木曽谷の11町村が点在する。面積16万8千ヘクタール香川県の面積にほぼ匹敵するその中に何と森林の面積が15万8千ヘクタールもある。

森林率94%、藤村が喝破したように『木曽はすべて山の中』なのである。古くから木曽は奥山で良材の宝庫であった。それを代表する木曽檜(ひのき)の名が世に知られるようになったのは伊勢神宮の遷宮用材に選ばれた14世紀の中頃からだという。しかし大規模な切り出しが始まったのは江戸初期からで築城や邸宅の新設のほかに度重なる火災の復興用材料として大量の檜が江戸に送られたのである。

そうした急速な資源の枯渇に対してとられたのが『留山制度』であった。留山とは良材の伐採を禁じた山の意味である。しかしこの制度だけではもはや資源の喪失は食い止めることができなかった。そこで、享保年間(1916-1936)にとられたのが『禁木制度』で、檜、桜、翌檜(あすなろ)、コウヤマキを伐採禁止とし後に檜と紛らわしいネズコを追加していわゆる『停止木』の『木曽の五木』が生まれたのである。五木はその禁を犯せば木一本に首一つという厳しいものであった。

家具職人 楯勇志のプロフィール
1956年 長野県に生まれる。
1975年 長野県立木曽山林高等学校工芸科卒業。
松本市市川民芸教室に入社。(1980年まで)
松本家具 伝統工芸士 市川棟雄氏に師事。
1981年 長野県木曽郡南木曽町『手造り家具 なぎそ工芸』工房設立。
1989年 松本市井上百貨店にて七葉樹(とちのき)会作品展出品(拭漆四方転盆ほか)
1990年 名古屋市松坂屋本店にて七葉樹会木芸展出品(厨子、文箱ほか)
2000年 デザイナー西山英煕氏に協賛、ジャパンうるしネットに協力。
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