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展覧会見て歩き

 トピックス欄に掲載してある「漆の椀いろいろ」展の関連イベント「作り手たちそれぞれの“お椀物語”」に参加してきたので、今回はそのご報告を。

 「スペースたかもり」の主宰者、高森寛子さんについては、少し前に「漆の人インタビュー」でも取り上げたので、ぜひそちらもお読みいただきたいが、漆のすぐれた“使い手”である高森さんが、腕ならぬ“目”によりをかけて選んだ作り手たち、その椀だけを集めたのが、今回の「漆の椀いろいろ」展である(厳密にいうと椀以外にも小川マアさんの「下地ワークス」が展示されている)。そして、普段なかなか会う機会のないその作り手たちと、お茶でものみながら漆の話をしよう、というのが「作り手たちそれぞれのお椀物語」というわけだ。記者が参加したのは、その須藤賢一さんの回である。


須藤賢一さん


 須藤さんは弘前に住む津軽塗の職人だが、作るものは伝統的な津軽塗とは一線を画す。そのへんの経緯を須藤さんに聞いたので、プロフィールとからめて、まずご紹介しよう。

 ひと口に津軽塗といっても一様ではない。唐塗、七々子塗、紋紗塗(以上、文末の注参照)などいくつかの技法が知られているが、これら「研ぎ出し変わり塗」の変幻自在なバリエーションが津軽塗の特徴といえるだろう。須藤さんのお父さんは、七々子塗に色漆で模様を描く技法の創始者で、今も現役で活躍している。高校を卒業して、「ずるずると」お父さんの手伝いをしていた須藤さんは、津軽塗だけではなく、いろんな技術を勉強しようと、輪島の漆芸技術研修所に入学する。そこで6年間みっちりきゅう漆と蒔絵を学ぶ。

 技術を身につけて意気揚々と(というのは推測)弘前に戻った須藤さんだが、お父さんの技術に歯が立たなかったのだ。

 「(模様なんか)すぐ描けると思ってたの。どっこい、全然描けない。オヤジには勢いがないとか、いろいろいわれる。そのうち、何でオレはこんなことしなきゃいけないんだと思うようになった。オレは好きで模様描いてるわけじゃない、と。そんなときに弘前のクラフトをやってる仲間たちは、先生もオヤジもなく、自由にやってる。オレも自由にやろうと」

 研修所には人間国宝の偉い先生がたくさんいる。家に帰れば津軽塗の第一人者が待っている。自由なクラフトに魅力を感じた須藤さんの気持ちもわからなくはない。伝統の世界が鑑賞用になっていることへの反発もあっただろう。

 だからといって、須藤さんは津軽塗を捨てたわけではない。むしろ逆である。須藤さんの言葉でいえば津軽塗の「いいとこ取り」をした須藤さん独自の制作が始まるのである。須藤さんはいま座卓とか棚などの家具のほうに興味が向いているという。「迫力がある」のだそうだ。

 話を戻そう。参加者が10人ほど集まり(高森さんいわく、「こういう催しには最適の人数」)、会は始まるともなく始まった。


アジア大会の金メダル

ブナコの吸い物椀


 須藤さんが最初に取り出したのは、意外にも2003年アジア大会の金銀銅3個のメダルである。今日のために(?)須藤さんが無理に借り出してきたものだそうだ。このメダル、須藤さんがリーダーとして制作に参加した津軽塗のメダルなのである。赤い部分は七々子塗、青い部分は唐塗、6つの三角形は紋紗塗になっている。つまり、津軽塗の代表的な技法のいわば塗見本といった趣向を持つメダルなのだ。「こんな機会はめったにないから」と参加者の一人は3つのメダルを首から下げて記念撮影をし、大いに盛り上がったのである。

 次に取り出されたのは、菜種である。七々子塗には丸い菜種が必要で、どうやっていびつな菜種をより分けるかという話になったのだ。伝統工芸の世界は極めて特殊な世界になってしまったので、使われている技術もさぞ特別なものだろうと思いがちだが、実は、何でもない身の回りのアイデアであるのに驚くことが多い。この日もそうだった。実際とは違うが、原理はこういうことといって須藤さんがやって見せたのは、菜種を乗せた紙をほんの少し傾けただけだったのだ。丸い菜種はよく転がるから勢いよく落ち、いびつなものは転がらないから紙に残る、それだけのことなのだ。わかってみれば「なーんだ」だが、目からウロコである。

 須藤さんはいろんなサンプルを用意してきていて、今度は壊れた片口を取り出した。注ぎ口が根元からぽっきり取れている。知り合いから修理を頼まれたのだが、かなりの値段がしたに違いないこの片口、よく見るとパテを使ったマガイモノだったのだ。須藤さんはこういった。

 「作った人間の顔が見えれば、のう、パテではないとわかるのに」

 漆で大切なのは内部である。プロといえども表面からは中のことまではわからない。片口がマガイモノとわかったのも、壊れた断面を見たからである。米や野菜で作り手の顔がわかることが安全性につながるといわれるのと同じように、漆もだれが作ったか顔がわかることが大切だというのだ。わかっていれば、こんなことにはならない。なるほど、と思った。今回、こうして須藤さんの顔を知った。須藤さんならマガイモノは絶対作らない、少なくともそのことだけは確信できた。そういう作り手を増やしていけば、マガイモノをつかまされる心配などなくなるのだ。


布着せの実演をする須藤さん


麻布の鉢

狂った器
 須藤さんの作る椀は高台がなく、手のひらで包むように持つ。なぜかこの形が好きなのだという。しかもすべらないような仕上げになっているから、安定する。この「すべらない」ということについても、サンプル持参で説明してくれる。ケヤキの粉を焼いて使っているのだそうだ。さらに、麻布を使った布着せの実演や、刷毛の話など、単に知識を伝えるというのではなく、まるでエッセイでも読むような実作者ならではの面白さがあった。

 「こういうふうにボソボソしゃべられると、何か簡単にできそうだと思われてしまうかもしれませんが、須藤さんの布着せは相当なものらしいと私は思っているんです」

 そばで高森さんが口を添えるのが、またよかった。

 須藤さん自身の椀については多言を要しないだろう。少しだけ解説すれば、「狂った器」とは、狂いが生じることを前提に作られた器という意味である。見た段階では、まだそれほど狂っているようには見えなかった。これから歪むのかもしれない。それを楽しもうという柄の大きさが感じられる器だ。

 また、組木細工のように見えるのは箸置きである。ひとつの角を面取りし、螺鈿を施したあたり、須藤さんの遊び心満開である。こういう作品を見ると、須藤さんがお父さんについていった言葉が思い出される。

 「オヤジは、何であんなへんなもの作って、賞をもらったり雑誌に取り上げられたりするんだろうと思っていると思います。こんなもん作っててメシ食えるわけないと。でも、雑誌なんかに出ると、おーっ、おーっとかいって見てますけど」

 1時間あまりの会を、高森さんがこう締めくくった。
 「始まったんだか終わったんだか……でも、すごく須藤さんらしい集いでした」


箸置きセット

蓋をとったところ

(注)高森さんが執筆・編集した「ほんものの漆器」(新潮・とんぼの本)から、津軽塗の項を引用させていただく。

津軽塗
元禄年間、藩主に召し抱えられた塗師によって作られたのが最初とされる。各種彩漆(いろうるし)を塗り分けた後、これを研ぎ、磨いて文様を出す唐塗、菜種を蒔いて輪紋を研ぎ出す七々子塗、籾殻炭粉(もみがらすみこ)を蒔いて研ぎ出す紋紗塗、七々子塗の上に唐草などを描く錦塗など研ぎ出し変わり塗が代表的。堅牢で実用性が高いのが特色である。座卓、重箱、盆、椀、茶器等。

 「漆の椀いろいろ」は2003年8月2日(土)までの毎週木・金・土のみ開催。時間は11時から18時までだが、「作り手たちそれぞれの“お椀物語”」(参加費1000円)がある日は午後1時開場。詳細はトピックス欄参照。問い合わせは「スペースたかもり」(東京都文京区小石川5−3−15−302 TEL.03−3817−0654)まで。



郷原漆器
〔特別参加の郷原漆器〕
600年の伝統を持ちながら、昭和10年代の戦乱期に途絶えてしまった幻の漆器。平成元年に復活され、現在は岡山県郷土伝統工芸品に指定されている。今回の展示は県外では初。特徴は丈夫で、安価で、栗の木目が美しいこと。通常漆器の材料の木材は、乾燥させてからろくろで挽くが、郷原漆器は栗の木を輪切りにし、生木のままろくろにかける。


文と写真: 岡崎 保 


須藤賢一さんのプロフィール
1957年 弘前市生まれ。父は津軽塗の第一人者。高校を卒業して父の手伝いをする。
21歳のとき、石川県立輪島漆芸技術研修所に入学。きゅう漆と蒔絵を3年間ずつ学ぶ。
弘前に戻り、伝統的な津軽塗ではなく、普段使いをめざしたクラフトの道へ進む。


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