ジャパンうるしネット うるし美し、日本の心
コンテンツ一覧
トピックス
展覧会開催一覧
展覧会見て歩き
うるしの学校
うるしの人 (インタビュー)
うるしのエッセイ
うるしクッキング!
私の好きな私の作品
BOOK'Sレビュー
リンク集
バナー広告掲載案内
お問い合わせ
現代工芸ギャラリー 酉福
やきものネット 陶磁器・陶芸の総合情報サイト
ジャパンうるしネットのバナー 自由にお使いください

ジャパンうるしネット www.japan-urushi.net/

展覧会見て歩き


宮野智之さん

合鹿椀

くぬぎ銘々皿

花型盛皿
 皿、椀、盃、茶道具、アクセサリー、それぞれの数は多くはないが、何でもありの展覧会である。無地、木肌を見せるもの、加飾と、表情も多彩だ。会場の一角には机が置かれ、蒔絵教室も行われるという。宮野さんは何でもやっちゃうのである。

 「職人さんは、全体の流れも少しは把握しているでしょうが、基本的には自分の専門の工程を担当する。でも、私らは図面を起こす段階から最終的な加飾まで、全部わかってないと仕事ができないんですよ。自分で描いた図面を見れば、3次元の完成した姿がはっきり想像できます」

 夕餉皿は、鱸(すずき)の洗いと枝豆を盛って一杯やることを考えながら作ったのだそうだ。ことわるまでもなく、宮野さんは相当な左党である。黒の塗りっぱなしのこの皿、 もちろんこのまま使ってもいいのだが、宮野さんの考えは、お客さまの注文次第で、研いでもいいし模様を描いてもいい、ということである。

 「作家は自分の作りたいものを作る。しかし、逆にお客さまの立場になってみると、全部が全部作家のアテガイブチじゃなくて、自分はここに模様を入れたい、こういうデザインにしたい、という人もいると思う。だいたい、注文で作るのは、職人さんの世界ではごく当たり前のことですからね」

 つまり、夕餉皿は完成品であると同時に、お客さまの好みに合わせて、これからいかようにも手をかけられるキャンバスでもあるのだ。作家の手を借りて、一部分とはいえ、自分のデザインで、世界に一つしかない自作の皿をもつことができるというわけだ。

 とにかく、宮野さんは工夫の人である。やりくり上手といってもいい。たとえば、新たに図面を起こし、木地師に頼んで挽いてもらえば、それなりの費用がかかる。そこで、すでに挽いたもので、数が余ったものなどを買っておくのである。それを加工して使うのだ。たとえば、丸い皿を輪花にしたり、サイズの違う椀の、高台を取り、高さを調節して入れ子にする(三つ組のボウル)などなど。こういった工夫のお陰で、宮野さんの器は極めてリーズナブルな価格で提供されている。
 木目を生かしたものでは栃の食篭(じきろう)と櫟(くぬぎ)の銘々皿が鮮やかで、印象に残る。櫟を竪木で挽くと、線刻文のような線が自然に出るのだそうで、人工的に模様をつけたわけではない。食篭は上下の模様を合わせたものと、わざと違えたものが展示されていたが、写真は後者。虎のような縞が出るのは「メッケモン」だそうだ。



ボウル(三つ組)

アクセサリー

端反フチ皿
 個人的に「欲しい」と思ったのはぐい呑みである。これは山中の木地職人で飾り挽きの名人といわれる人に頼んだものだそうだ。ろくろでこういう模様を出せる人は、もういないのではないかという。外側の木の温もりと内側の金地の金属感という硬軟の取り合わせが面白い。もう一つ、宮野さんがショートカップと名付けたぐい呑みも、ストンとした形がしゃれている。宮野さんは「ウィスキーでもいける」というが、やっぱり冷やした日本酒、あるいは紹興酒などはどうだろう、などとおいしい想像がふくらむのである。

 縁を赤く塗った皿も金を垂らすように蒔いた皿も、同じ端反フチ皿で形は全く同一の皿である。並べてツーショットにしなかったのでわかりにくいが、とても同じ大きさには見えない。これにはちょっと驚いた。デザインによって印象はまるで違ってくるという好例で、こういうものを見ると、さっきの夕餉皿に私も描いてみたい、といい出すお客さまも出てくるのではないか。

 作家を一方的に崇め奉るのではなく、気軽に要望をいい、作家もそれに応える、いわば作り手と使い手の双方向的な関係を提案する宮野さんの姿勢が、よく表れた展覧会といっていいと思う。

文と写真: 岡崎 保 



夕餉皿

栃食篭

端反フチ椀

ぐい呑

デザート椀

盛皿

「宮野智之 漆器展」
    2003年9月25日(木)〜10月1日(水)
    画廊画「岳」
    東京都国立市東1−14−17(TEL.042-576-9909)
    9月27、28日の11時から2時まで、蒔絵教室も開かれていた。

宮野智之さんのプロフィール
昭和28年生まれ。高校卒業後、ドイツ語の勉強のために短期間ドイツに滞在。そのときに「自分は日本のことを何も知らないと痛感」。帰国後、印刷会社でパッケージデザインなどの仕事をしながら、能など日本の伝統文化に興味を持ちはじめ、その一環として漆にも関心を持つ。仲立ちをしてくれる先生とめぐり合い、輪島の作家や職人たちと知り合う。輪島と往復しながら、技術を身につけ、独立の準備として、いくつかの会社に籍を置く。30歳で漆器製造販売の「什器のマイ」を設立し、独立。自分でデザインした漆器を販売する会社で、最初は作家というよりプロデューサー的な仕事が多かったようだ。1991年に、ひょんなことから始まった漆教室は現在も続いている。


Copyright 2000-2005 Japan Urushi-Net