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漆の産地出身の方の取材では、あまり詳しいプロフィールは聞かない。でも、伏見さんは横浜出身である。漆と横浜? なぜ漆の世界に入ったのか、やはり興味があった。そこで、ネホリハホリ、聞いてみた。


伏見眞樹さん

スプーンとフォーク

面取コップ(左)・花型コップ

拭漆尺八寸栃大盤
  大学受験に失敗した伏見さんは、アルバイトでペンキ塗りをした。そして「職人はカッコいい」と思った。これがスタートである。まずやりたいと思ったのは木工だった。 松本の民芸家具や木地師さんのところへ見学に行ったりした。しかし、そんな遠いところへ行かなくても、身近に恰好のものがあった。「鎌倉彫」である。20歳で、伏見さんは鎌倉彫の訓練校に入学する。ところが意外なことを発見する。伏見さんは漆とまったく相性が悪かった。ある工房に実習に行くことになり、「明日からよろしくお願いします」と挨拶に行った。挨拶をして帰って来ただけ、どこにも触っていない。それなのにかぶれたのである。空気感染である。卒業はしたものの、この2年間はかぶれ通しだった。

 塗りはもうコリゴリだったので、彫りのほうで鎌倉彫の店に就職した。その頃、伏見さんはすでに柳宗悦の本などを読んでいて、「用の美」という考え方にひかれていた。鎌倉彫は装飾性が強い。使うものを作りたい、と伏見さんは思った。そこで1年ほどで鎌倉彫をやめ、青山のデザイン事務所に通い始めるのである。しかし、伝統的な世界から最先端の世界への180度の転換に、伏見さんは耐えられなかった。ここも2ヵ月ほどでやめることになる。ある日、途方に暮れて青山通りを歩いているとき、伏見さんの目に飛び込んできたものがある。漆のお椀だった。美しい。こういうものを作りたい。自分の気持ちがしっかりわかった瞬間だった。店の主人に聞くと、佐藤阡朗という人が作ったと教えてくれた。伏見さんは家に帰って佐藤さんに手紙を書いた。弟子になりたいという手紙である。しかし、投函する勇気がないまま、この手紙は机の奥深くしまわれた。

 伏見さんは頭を下げて鎌倉彫の店に戻り、25歳で結婚。鎌倉彫を一生の仕事にしようとは思うものの、漆器に対する夢も捨てられなかった。その証拠に新婚旅行では漆の産地をまわった。輪島、金沢、高山・・、そして最後の日には佐藤さんを訪ねたのである。佐藤さんは朝から夕方までつきあってくれた。伏見さんは投函できなかった手紙をやっと渡すことができた。

 それからの1年間、伏見さんは悩んだ。休みを利用しては佐藤さんの元へ通う生活だったが、鎌倉彫を続けるか、佐藤さんに弟子入りするか、悩みに悩んだ。鎌倉彫は一度裏切っている。もう裏切れない。生活の不安もある。しかし、転機はやってきた。奥さまが出産のため、新潟の実家に帰っている間に、伏見さんは布団だけを車に積んで、佐藤さんの元に転がり込んだのである。佐藤さんに「来るのか来ないのか、はっきりしろ!」とハッパをかけられ、「ハイ、行きます」と答えてしまったのだ。伏見さん、26歳の入門である。

それから3年半、近くの県営住宅に親子で住み、佐藤さんの工房へ通う修行生活が続いた。通うといっても、学校や会社ではない。朝は先生が起きる前にはちゃんと工房の掃除も済ませる。夜は先生が「おやすみ」というまでいるのである。佐藤さんは「技術だけを教えるわけではない。職人の生活というものを教える」という考えだったからだ。この3年半は「厳しくて楽しい、私にとっては宝のような時期です」ということになる。こうして一人の漆器作家が誕生したのである。



布目隅切箱膳

拭漆栗鉢
  伏見さんの器は品があり、控えめである。先生の佐藤さんからはよく「軽い」といわれるそうだが、しかし、押しつけがましくない伏見さんの器を心地好く感じる人は少なくないのではないか。「便利さばかりを追求した自分たちの生活を少し反省しなさい」といわんばかりの伝統工芸品に出会うと、ウンザリするという人も多いだろう。伏見さんの器の「軽さ」とは、なに食わぬ顔をして洋食の食卓にも仲間入りできる、そういった「軽さ」なのだ。排除したり敵対したりしないのである。だからといって、伏見さんが「現代」とか「洋」とかに擦り寄っているということでは全然ない。形も技法も、伝統に忠実すぎるぐらい忠実に作られている。全体の仕上がりが、都会的なのだ。暑っ苦しくないのである。これはひとつの新しさといっていいだろう。伏見さんは笑いながらこんな話を披露してくれたのだが、これはやっぱり「新しい」のである。

「佐藤先生から、伏見君は何が好きかと聞かれて、カレーとかハンバーグとか答えるわけですよ。何だ、そりゃ。そんなもんが好きで漆器が作れるかといわれるんです」

 伏見さんは子どもの頃から「おとなしい」「いるのかいないのかわからない」などといわれて育ったのだそうだ。

「それがいやで、殻を破ろうと思って、たとえば角さん(偉三郎氏)のような力強い器を作ろうとしても、やっぱり無理があるんですよ。だから、自分らしいものを作るしかないと思うんです。軽さも突き詰めればいいんじゃないかと。語弊があるかもしれないけど、古典的な漆器に興味がないんですよ。正倉院がどうのこうのといわれても、ピンとこない。それよりも、この音楽のような器を作りたい、とか、この絵のような器を作りたい、というふうに思うことが多いですね。20歳まで、まったく漆を知りませんでしたから、そもそもなぜ漆を塗るのかというところから考え始めたわけです。そうすると、案外塗らないほうがいいというものも、あるんです。漆はなるべく邪魔しないほうがいいんじゃないか・・・なんていうと怒られちゃうかな」



木曽溜二段弁当箱

菊盛器

潤楓ボール
    品があって控えめという印象は、ひとつにはほとんどの作品が塗り立てのせいもあるかもしれない。つまり磨かないのである。これは磨くという工程をさぼっているわけではない。漆本来の深い色を出し、しかも長い年月使うことで自分だけの艶が出てくるのである。磨くという化粧ができない分、乾燥に失敗すると商品にはならない。100個作ると、5〜10個は失敗する。賭けの要素が入ってくるのが塗り立てなのである。

 伏見さんは、最初は木工に憧れたのである。ならば木地から作りたいのではないか。

「それが高じて始まったのがスプーンです。作り始めて10年ぐらいですが、最初は個展のときに5本、10本と出す程度でした。注文も受けない。でも、4年前からは、ちゃんと自分の製品として、数も作ろうと思い、去年はトータルで560本作りました。鎌倉彫の彫刻の技術、塗りの技術、いままで私がやってきたことが全部生かされている、いわば私の代表作みたいなものがスプーンかなあと思っています」

 伏見さんのスプーンやフォークは竹製である。先端に朱漆が塗ってあり、小ぶりでかわいい。ブランドばやりの昨今だから、そのうち「伏見スプーン」として有名になるかもしれない。

 伏見さんにお会いして驚いたのは、ソフトな声である。ディスクジョッキーでもやればいいのにと思ったほどである。話し方もやわらかくて、内容は極めて明晰、わかりやすい。「やさしい」とか「繊細」などと評されるのは、本意ではないかもしれないが、作者と作品は、やっぱり似ている。







片口

蓋付胴張コップ(黒と本朱)

桃皿

「伏見眞樹 漆工展」2004年10月23日(土)〜11月7日(日)まで、神奈川県茅ヶ崎市中海岸1−1−12 ギャラリースペース俊(TEL 0467−88−2553)で開かれている。時間は10時から19時まで(最終日は17時まで。月、火休廊)。

文と写真: 岡崎 保 


伏見眞樹(ふしみ・まき)さんのプロフィール
1957年横浜市生まれ
1980年鎌倉彫・伊志良博氏に師事
1984年漆工・佐藤阡朗氏に師事
1987年独立、東松山に工房を開く
1994年神奈川県葉山町に移転


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