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芸大に入るとき、野口さんは陶芸をやるつもりだった。だから、2年生のときの“お試 しコース”では、陶芸は選ばなかった。来年からいやというほどやれると思ったからだ。そして、おそらく絶対やらないだろう漆芸を選んだ(注:芸大は3年から各専攻に分かれ る。そのため2年のときに、各ジャンルをちょっとだけ体験できる“お試しコース”が設 けられている)。これが野口さんのDNAを刺激したらしい。
野口洋子さん
まゆ椀 青菜
汁椀 葉
大椀 舞椿
「父が木場で材木関係の仕事をしていたんです。漆の“お試しコース”でろくろを挽いたり、鉋をかけたりしていたら、木のにおいが、昔住んでいた木場のにおいで、懐かしくてねえ」
これで決まり。漆にはほかにも利点があった。木地を専門の木地師に頼めば、塗りだけなら、3畳、いや2畳ぐらいのスペースがあれば作業は可能だ。陶芸は窯など設備投資が要る。卒業してすぐ結婚し、すぐ子どもが生まれた野口さんにしてみれば、漆のほうが都合がいいのである。
「仕事場と生活空間をきっちり分けるのではなくて、子どもが学校から帰ってきたとき、背中ででもいいから“お帰り”といってやれるような仕事をしていたいなと思っていたんです。それには漆のほうが、時間的にも空間的にも、しなやかですから」
木地から自分で作るという欲求は、作業スペースの問題や、刃物も自分で作らなければならないために、諦めざるを得なかった。しかし、ゼロからすべてを自分の手でつくるという欲求は、乾漆という技法を採用することで解消された。 生活空間の中で仕事をするといっても、子どもが3歳になるまで、野口さんは制作を休んだ。2つのことをいっぺんにできないタイプ、なのだそうだ。制作再開の第1作が「まゆ椀」である。子ども用の小ぶりの椀で、野菜などの絵が描いてある。
「仕事の再出発にあたって、お母さんの仕事はこれだよと、子どもに理解してもらいたくて、子どもの椀を作ったんです。名前ももらいました。子どもがあまり好きじゃない野菜などの絵を描いたのは、少しでも食べてくれるといいな、食べると元気になるよ、というつもりです」
会場は、入って左側に椀を中心としたいわゆる食器、右側が盃を中心とした乾漆の椿シリーズ、いちばん奥にまゆ椀という構成になっている。野口さんの意図はわからないが、再出発のまゆ椀を基点とし、そこから左右2つの流れが出ているように見えないこともない。右側と左側では、印象が少し異なるのである。そこで勝手な解釈をしてみた。つまり、左側の食器は野口さんの母性の流れ、右側は「女」としての流れ、というふうに。「汁椀 葉」にしても「大椀 舞椿」にしても、大ぶりで、形はふっくら。見るからにふくよかで、構図は大胆だ。母性の包容力とか力強さを感じる。
また、こうもいえるだろう。野口さんは自分で作った器は必ず使ってみる。そして、口当たりがきついとか、洗いにくい、もうちょっと深さが欲しい、などなどさまざまな改良を加える。つまり、ここに展示されている作品には、何段階かの先行作品があり、現時点での最良のものが、いまここに展示されているというわけだ。野口さんの器は、まさに生活空間から生まれているのである。
煮物椀 発咲の椿
朱盃 朱無地
酒盃 お月さま
さらに、野口さんの器は、商品として不特定多数に向けられたものではないように感じる。明らかに誰かを想定して作っている。そのことが逆に、多くの人に受け入れられる理由なのだろう。 というようなことを書きつらねたのは、これらのことは、すべて「母親」の振る舞いではないかと思うからだ。
今度は、椿シリーズを見てみよう。蕾から開花、そして散るまでを、雌しべをつけるかつけないかに至るまで、細やかに表現している。乾漆だから、本来、型を作れば同じものを作ることは可能だが、野口さんは全部1点ものとして制作した。「花は1回こっきり、同じ花は咲きません」という理由だ。「咲きはじめた花盃」については、こう語る。
「枝についた花がだんだん大きくなっていく、その時間的な経過を追いました。実用面でいえば、その日の体調に合わせて、大きさを選ぶのもいいんじゃないでしょうか。いちばん大きいものは、小鉢としても使えます。飲み口が花びらなので、不揃いで飲みにくいとおっしゃる方がいるかもしれませんが、それは、お花で飲むという危うさをたのしんでもらえばいいと思います」
そういいながら、野口さんは婉然と微笑したのだが、「花で飲む危うさ」などという言い回しは、母親のボキャブラリーではない。椿シリーズのほうには「女性」を感じるのである。 子どもがいる女性なら誰でも「母親」の顔と「女性」の顔を持っている。それは頭ではわかっているが、表現の鮮やかな2つの流れとして目撃すると、一種の謎解きのようなカタルシスを感じるのである。勝手な分析については、ぜひ、ほかの人の意見も聞いてみたい。
制作していてうれしいのはどんなことですか、という質問に野口さんはこう答える。
「発表することでだんだんと人の輪が広がっていくことが、うれしいことです」
今後、どんなものを作っていきたいですか、とたずねると・・。
「このままが続いていくだろうと思います」
乾漆 花ざかりの花盃
つぼみの花盃
乾漆 咲きはじめた花盃
乾漆 舞いおりた花盃
「野口洋子の漆展」は2004年12月1日(水)〜12月9日(木)まで、東京都千代田区丸の内1−1−1 パレスホテルB1 遊(03-3213-6081)で開かれている。時間は11時から19時まで。会期中は野口さんが会場に詰めている予定。
文と写真: 岡崎 保
野口洋子さんのプロフィール
1952年
東京生まれ
1976年
東京芸術大学工芸科卒業
サロン・ド・プランタン賞受賞
1978年
同大学院漆芸専攻終了
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