| ・・・本当にお疲れさまでした。ところで室瀬さんと松田先生はどんなおつきあいだったのですか。 |
| 室瀬 |
ぼくの父親が六角紫水先生に入門したとき、松田先生も教わっていたんです。六角先生のつながりですね。
ぼくは生まれていませんでしたが、戦争で松田先生が焼け出されたとき、家が同じ池袋だったこともあって、先生ご一家がしばらくうちに逗留なさったそうです。
ぼくが大学に入って漆を始めることにしたとき、父親に連れていかれて、それが正式には最初ですね。もちろんその前から知ってはいましたけど。
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| ・・・松田先生の授業を受けたりということはなかったのですか。 |
| 室瀬 |
ぼくと先生は50歳ぐらい年齢が違います。
ぼくが大学に入ったときは、先生は退官してもう人間国宝になっていました。だから、ぼくが教わったのは個人的にお宅にお伺いしてです。
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| ・・・どんな方だったのですか。 |
| 室瀬 |
いや、もう厳しい先生でした。ぼくらは孫の年代ですから、直接叱られるようなことはなかったですが、ぼくらの先生ぐらいの年代の方は、かなり怖かったようです。
それは仕種が怖いのではなくて、勉強の姿勢ですね。人にだけ厳しいのではなく、自分に対しても厳しいから、怖いわけですよ。
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| ・・・近づきがたい感じですか。 |
| 室瀬 |

獅子蒔絵香合 |
やっぱり松田先生の前に出ると緊張しましたね。勉強してないと質問もできないわけですよ。本当によく知っていらしたし、勉強もしていらっしゃった。だから、先生にやりなさいといわれたことは、なるべくやろうとしました。
ぼくが保存・修復を始めたのも、先生に
「作るのと直すのは同じぐらいのウェイトがある。勉強になるからやりなさい」
といわれたからです。
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| ・・・松田権六の最大の功績は何だとお考えですか。 |
| 室瀬 |
蒔絵は技術者はとことん技術、デザインをやる人はとことんデザインという分業の世界でした。それを全部自分一人でやった最初の人ですね。六角先生が理論的に確立し、松田先生が実践したということだと思います。
職人から創作者になった最初の人、漆の歴史を近世から近代に移行させた人といってもいいでしょう。
大きな仕事は戦時中にやってるんです。漆のない大変な時代に、とことん漆をやってる。逆境に強い先生ですね。
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| ・・・本など読むと、万年筆に漆を塗ったり、とても進取の気性に富んでいたという印象があります。 |
| 室瀬 |

鶴亀蒔絵棗 |
あの時代は、新しいものを探りにみんなヨーロッパや海外に出かけた時代です。そして、ヨーロッパナイズされて帰ってくる人と、逆に日本回帰して帰ってくる人と両極端に分かれたのです。
松田先生はヨーロッパを見たために余計、日本の伝統を生かさなければと思って帰ってきた。
日本の伝統をヨーロッパに輸出するんだと考えて、化粧品のパッケージデザインなんかも手掛けられた。本当に新しいことに挑戦する人だったと思います。
自分たちのほうが挑戦力が足りないですね。 |
| ・・・厳格な面とパッケージデザインもやってしまうという面を併せ持っていた。 |
| 室瀬 |
そのへんがすごいと思います。芸大の先生をやり、作家もやり、古美術研究もやり、デザインもやる。自分の少ない時間をよく割り振ったと思います。
亡くなるまで現役でした。
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| ・・・どうもありがとうございます。
文: 岡崎 保
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