前回大蔵さんにお会いしたとき、「用の美なんていうのはもう飽きてしまって、いまはフラクタルなものを作ろうとしている」という意味のことをおっしゃった。 「フラクタルって何ですか?」とかなり食い下がったが、わからずじまいだった。大蔵さんも気にしていたらしく、今回お会いすると、「栞にしてきたから」といって宿題の答を渡してくれた。
栞に記された大蔵さん自身の言葉によるフラクタルの説明を全文掲載する。
フラクタルとは、聞きなれない言葉かもしれません。 一言でいうと部分を拡大しても全体と同じように見える自己相似形のことです。 自然界の多くの形態のなかにも見られます。連なる入り江の地形や貝殻の繰り返される模様など・・。 心に安らぎを与えてくれる自然のなかに、身近な美しい物のなかにも潜んでいます。そして、朱漆を研ぎ出して生まれる根来塗りの黒い模様に、わたしはフラクタルを発見しました。 空に遊ぶ雲のように、お碗に浮かぶ色合いの妙を楽しんでいただけたら幸いです。
根来塗は、もともとは寺の什器である。装飾的な要素を排し、質実剛健を旨とする器である。雑煮椀の、大振りでどっしりとした安定感と布着せを強調した力強い表情、これが根来である。 日の丸盆に乗せられたごつごつした片口、ヘギ目重箱の揺るぎない存在感、角切盆の端正な佇まい、これが根来なのだ。たとえ装飾的な要素である輪花を採用していても、根来輪花鉢の荒々しい造形は、まぎれもなく根来である。 しかし、「根来干菓子盆」では何かが揺れている。器と、それを取り巻く空間の境界が微妙に曖昧なのだ。さらに「根来粥椀」。ここでは境界がたわんでいる。
本来、根来塗の黒い模様は人間が作ったものではなかった。時間の産物だった。人間がどう作ろうと、時間の模様にかなうはずもないのである。しかし、根来塗の堅牢な形が辛うじて人間に模様を作ることを許してきたのではないか。その「形」を捨てて、根来塗は可能だろうか。 大蔵さんは根来の黒い模様にフラクタルを発見したという。
もしかすると大蔵さんは「神」を見てしまったのかもしれないと思う。「完成」を手に入れることができる職人的な手応えを捨て、永遠に「完成」のない、神のみぞ知る創作の領域へ足を踏み入れたのではないか。「空に遊ぶ雲」を追い始めたのではないか。 大蔵さんは、
「今回の展覧会は久しぶりにいいかなと思っています」
と笑う。「久しぶり」かどうかはともかく、こんなに統一感ある展覧会も珍しいと思う。
「売れるかもしれないから、一応飾っておくか」式の余計なものが一切ない。そして、素朴で力強い根来と、「空に遊ぶ雲」の軽やかな根来のせめぎあいが、一種の心地よい緊張感をもたらしている。
文: 岡崎 保