これは寺口さんの3回目の個展で、最初は2年前の「おひろめ展」、2回目が昨年の「あげいん展」、そして今回の「さあどーです展」である。寺口さんの作品はこの3回しか公にされていない。本欄で初めて「寺口宏祐」という名前に接する人も多いと思うので、寺口さんが漆の世界に入った経緯などをざっと紹介しておく。
寺口さんが最初に興味を持ったのは、やきものだった。しかし、興味が変わり、大学で選んだ専攻はグラフィック。でも、やっぱりやきもののほうが面白そうなので、大学は中退した。すぐ生活の問題に直面する。寺口さんは店舗の飾り付けや博物館用の人形を製作する会社に勤めた。これが忙しい仕事で、とてもやきものどころではなくなった。
24歳のとき、たまたま本で乾漆の作品を見た。洗い朱のきれいな輪花鉢だった。後でわかったことだが、奥出寿泉(注)の作品だった。乾漆は取り立てて大がかりな設備も道具も必要としない。型に使う石膏などは、仕事でも使うので手慣れている。乾漆なら会社が終わってからでもできるかもしれない。
こうして寺口さんの独学が始まる。
会社は現在も続けている。従って、製作は夜や休日ということになる。独学ゆえの失敗も多い。寺口さんいうところの「オクラ入り」である。個展を開けるほどの作品をためるのは容易ではない。
寺口さんは「僕じゃなくてもいいんじゃないかと思って」という言葉を、イ ンタビューの間に何回も繰り返した。オリジナルが命なのである。はじめの頃は展覧会や美術館によく足を運んだ。産地も訪ねた。しかし、最近は他の人の乾漆は見ないようにしているという。やきものや絵画など、他ジャンルのものは貪欲に取り入れたい。しかし、同じ乾漆から学ぶつもりはないのである。
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ただ、誤解しないでいただきたいのだが、寺口さんの作品はよくある「実験的だけど魅力に乏しい作品」ではない。寺口さんの作品の新しさは、その魅力の新しさなのだ。寺口さんの作品の魅力を的確に形容する言葉は、まだない。
強いていえば「あやしい」だろうか。しかし、形容詞などはどうでもいい。若い人は乾漆だなどとは思わないで、寺口さんの作品を買っていくそうだが、それが正しい。
顔写真をお願いしたら、「顔はいいですよ。顔より作品を」と許可してもらえなかった。寺口さんの場合、作品は顔に匹敵するほどご本人を物語るような気もして、引き下がった。
(注)奥出寿泉(おくで・じゅせん)
1916〜1973。石川県小松市生まれ。少年時代、京都で山岸表寿の門に入り、 きゅう漆を習得。18歳で上京し、松波保真に師事し、乾漆を学ぶ。戦後は郷里で作家活動を始める。蓋物、鉢、盆などを梅花形や輪花形に細かく成形する、乾漆ならではの作風。
「寺口宏祐 さあどーです展」は2001年5月13日(日)まで、銀座7丁目、新橋演 舞場そばの「工芸いま」(TEL03ー3542ー5707)で開かれている。営業時間は
11:00〜19:00。最終日は17:00で閉場。