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漆を通して日本とヨーロッパの架け橋になりたい・・
京都を拠点にヨーロッパでの漆器展をプロデュースする
エルマー・ヴァインマイヤーさん――

ドイツ人なのに日本人より漆に詳しい男・・こういうキャッチフレーズにエルマーさんはうんざりしているようだった。日本びいきの、いわゆる「ヘンな外国人」扱いに対してである。確かにエルマーさんの話は、言葉も含めて、日本人とドイツ人の違いを感じさせなかった。そんなノンキな話ではなかったのだ。

インタビュアー 岡崎 保 okazaki@japan-urushi.net
エルマー・ヴァインマイヤーさん
■どういった経緯で日本にいらっしゃったのですか。

E. W. 大学で哲学を勉強していました。もちろん西洋哲学です。そのときの教授に日本の哲学者がいて、いろいろ話しているうちに、東洋思想の勉強がしたくなり、ヨーロッパ的ではない国を経験したくなりました。それで、日本の文部省の奨学金をもらって、2年間、京都大学に研究生として来たのです。

■日本のどこにひかれたのですか。

E. W. 何にひかれたかなんてわかりません。恋だってそうでしょう。どうしてその人が好きかなんて、わからないじゃないですか。わからないから、好きなんです。わかったら終わりでしょう。

■初めての日本の印象はいかがでしたか。

E. W. 源氏物語も大江健三郎も読んでいましたが、実際の印象とは違いました。ビックリ、驚き、興味津々、とにかくギョロギョロの毎日でしたね。あまり面白くて、学校にも行かずに遊んでいました。

■2年後、いったんお帰りになり、今度は京都工芸繊維大学の講師として再び来日なさるわけですね。

E. W. 結局3年半ドイツにいて、学位論文を書いたりしていたのですが、その間に、あるギャラリーの人と知り合いになったのです。そして、また日本に行くのなら、仕事を手伝ってくれないかと頼まれました。作家に出展交渉したり、作品の搬送の問題をクリアしたり、そういう仕事です。このときは陶器が主で、グレードの高いものばかりでした。いま人間国宝になっている方のプロデュースをしたこともあります。

■大学の先生もやっていらっしゃったのでしょう。

E. W. だんだんプロデュースの仕事が増えてきて、まじめにやるなら両方はできないとわかったのです。それで1年半後に先生のほうはきっぱり辞めて、美しいものを手がかりに、日本とヨーロッパの架け橋になる仕事をしようと決心しました。

陳列棚には角偉三郎、大場芳郎、赤木明登、山本英明、 滝村弘美さんらの作品が並ぶ

■漆とはどんな出会いがあったのですか。

E. W. やきものの仕事をやっているうちに、ぬりものも少しわかるようになったのです。同じ食器だし、普通の生活に使う美しいものだし。そんなとき、宮城県鳴子で仕事をしていた澤口滋さんに出会いました。形の美しさや、ものづくりに対する考え方の厳しさに目が覚める思いでした。それからです、積極的にぬりものの展覧会を見たり、職人の工房を訪ねるようになったのは。そして向こうのギャラリーに漆の展覧会の企画を売り込むようになりました。

■いまは日本国内でもおやりになっていますね。

E. W. 漆の職人さんたちとのつきあいが広がっていくにつれ、なぜヨーロッパだけなのか、と聞かれるようになりました。国内でも定期的に紹介する機会をつくってくれないかというのです。そんなことが何回かあって始めたのです。

■このギャラリー「日々」はいつからオープンしのですか。

E. W. 5年ほど前からです。人を雇って店を開くほどの資力はないので、オフィス兼ショールーム兼倉庫といったところです。いまは別のところに住んでいますが、以前はここに住んでいました。興味がある人なら誰でも、電話でアポをとりさえすれば、ここに来て、実際にぬりものを手にとってみることができます。

■どんな方がいらっしゃいますか。

E. W. それはさまざまです。デザイナーの卵が5、6人で、半日勉強に来たり、料理屋の女将さんが「こういう器がないか」といって来ることもある。ヘンな外国人がやってるらしいと、好奇心だけで来る人もいます。

■生活はほとんど京都ですか。

E. W. 京都にずっといたのでは商売になりません。1年の半分ぐらいです、京都にいるのは。あとは田舎に行って作家さんと話したり、ドイツやヨーロッパにも年に3回ぐらい行きます。

エルマーさんはドイツの工芸品を日本に紹介する仕事もしている。これは手づくりの木製万年筆や木製サインペンなど。

■いま、日本の漆が抱えている問題について少しおうかがいします。漆の作家も業界も苦境にあるというのが一般的な認識だと思いますが、今後どうなっていくと思われますか。

E. W. しかし、私がつきあっている作家たちに限っていえば、需要に制作が追いつかない状況です。漆でありさえすれば売れるというバブルのお祭騒ぎに比べれば、いまのほうが健全だと思います。ぬりものは、誰もが必要とする生活道具ではなくなっています。そういう意味では、漆は残らないでしょう。だけども、生活に必要なものだけで暮らしている人も、少なくとも先進国にはもういません。余裕がなくても車にだけはお金を惜しまない人がいますね。そういう意味で、漆はこれからも残るでしょう。ただ、問屋さんがいて、木地屋さんがいて、漆職人がいて、というようなシステムは、今後いろいろ変遷があると思います。

■作家性が大切だということですか。

角さんの卓の上には、ドイツで制作している韓国の李英才さんの やきものが置かれていた

E. W. 作家じゃなきゃいけないとは全然考えていません。作家性とはオリジナリティのことだといっていいと思いますが、技法的にオリジナリティを出すのは、もう難しいでしょう。そこでヘンな模様を描いたり、見たこともないような形を作って、無理やりオリジナリティを出そうとする。その結果、単なる自己表現に終わり、社会性とか世界性を失ってしまのです。自己満足ですよ。これは何も工芸だけの問題ではなく、現代美術も同じような傾向にあります。私は、いわゆる約束事とか与えられた枠組の中で、どう自分を出すかだと思います。まったく自分がなければ、それは単に写し絵ですから、それもつまらないのはいうまでもないことです。

■拝見したところ、加飾はまったく見当たりませんね。

E. W. 現在の加飾を見ていても、心が動かないのです。理由として考えられるのは、現代は情報が洪水のように押し寄せてくる。一歩街に出れば、ネオンがギラギラしている。いらない情報や明るすぎる光をどうカットするかが大切な時代なのです。ほとんどすべてが人工的な時代に、工芸の大きなテーマは自然さをどう残すかだと思うのです。ところが、昔は反対でした。電気もなく、暗く貧しい暮らしに、蒔絵がどのぐらい華やかに見えたか。だから、加飾が好きか嫌いかの問題ではなく、いまは無地の時代だと思います。

■中国産漆か国産漆か、という議論もあります。

E. W. 日本産と一口にいっても、産地によって質は異なります。気候も違えば土も違うのだから当然です。事情は中国でもまったく同じです。ただ、これまで日本に入ってきた中国産漆は、中国での扱いが雑だったために、いろんな産地のものを混ぜてしまったり、不純物が多かったりしたのは確かだと思います。日本に届くまでに時間がたってしまうこともあるでしょう。最近は中国に行って、「混ぜないで」とかいろいろ注文を出して、それから輸入している業者もあるそうです。そういう漆は質もいいはずです。だから、中国産か日本産かというのはバカバカしい話ですよ。日本で飲むドイツワインがまずいのと同じで、ドイツで飲むドイツワインは、本当においしいですよ。

■漆はドイツで、どんな受け入れられ方をしているのでしょう。

E. W. それも一概にはいえません。ただ、漆という素材そのものがありませんから、先入観もありません。見て美しいと思えば、いろいろ聞いてきます。その代わり、5客揃いで買うなどという発想もありませんから、だいたい1個ずつ買っていきます。楽しみ方はまったく自由で、サラダを入れたり、ピーナツを入れたり、アイスクリームを入れたりしているようですね。日本の伝統から生まれたものは、向こうの現代アートが好きな人の心にアピールするものを持っているような気がします。

長い時間、ありがとうございます。

エルマー・ヴァインマイヤーさんのプロフィール
1960年、ドイツ・アウグスブルクに生まれる。
アウグスブルク大学神学部卒業後、1985年、文部省の奨学生として京都大学に留学。
研究テーマはハイデッガー哲学が日本、特に京都学派にどのように受容されたか。
1987年、いったん帰国して学位論文を書き、博士号取得。
1990年、京都工芸繊維大学の講師として再来日。
宮城県鳴子の漆芸家、澤口滋さんとの出会いで漆に目覚める。
日本国内やヨーロッパでさまざまな展覧会をプロデュース、5年ほど前から京都市役所の近くにギャラリー「日々」(にちにち)を開く。

ギャラリー「日々」のディスプレイ。毎日の生活を豊かにするものたちという意味で「にちにち」と名付けた。ご覧のように和室
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