日常生活の中で、もっともっと漆器を使ってもらうにはどうすればいいか。少しでも漆に関わる人たちは、みんな頭を悩ましている。 いくら効率第一主義を嘆いても、「ここ」から出発するしかないことはわかっているのだが、なかなか突破口は見えない。 そんな状況の中で、高森寛子さんの活動は光って見える。本業は「もの書き」である。日本の伝統工芸、特に漆について取材し、書く。 もう一つの仕事は、東京・文京区の「スペースたかもり」で、自分の好きな作り手たちの展示会を開き、紹介することである。 高森さんの立脚点は「生活道具としての漆器」である。生活者の視点がまったくぶれないところに、高森さんの活動のさわやかさがあり、それが信頼を生む。 作り手と使い手をつなぐことは、すなわち漆を未来へつなぐことである。
高森 自分が使っていいものは「いい」と口でいったり、書いたりしてきました。まわりの人から「私も欲しい」などといわれて、「待ってて、そのうち買えるようにするから」なんて答えていたんです。 そんなとき、あるギャラリーから展示会をやらないかという話があって…、生活者という視点でなら、またテーマを漆に絞れるなら、好きなことだし、原稿にも書いたことだし、というわけで、何回かの企画展をやってきました。 この「スペースたかもり」は、もともと私が客だった「一幸庵」という和菓子屋さんが、私の展示会に来てくださっていて、店舗を建て直したときに、一室をギャラリーとして使わないかと誘ってくださったんです。 書く仕事があるし、ギャラリーなんてとてもできないと思ったのですが、ギャラリー機能を持たせた書斎にすればなんとかなるかなと、使わせてもらうことにしたんです。ちょうど4年前です。
高森 とてもとても。年に5、6回、1回2週間程度ですね。これでも増えたんです。 私は不器用で、ひとつの原稿を書くのにも時間がかかるんです。わからないことがあると、また取材に出かけたり。全部自分で動いて確かめないとダメな困った性格(たち)で。だから、年に5、6回が限界でしょうね。 ここで紹介している作り手の方たちとも、昨日今日のおつきあいじゃありません。AさんならAさんの漆芸展をやるわけではなくて…、私が紹介しているのは生活道具ですから、Aさんのどこの部分に的を絞っていけばいいか、お互いに納得できて、ともに楽しい展示会をつくり上げるためには、それなりの年月が必要なんです。
高森 なんだか作り手と使い手の接点がはっきりしていないような気がするんです。 使い手のほうは、いいもののようだけど、どこで買えばいいのかわからない、どう使えばいいのかわからないという人が、たくさんいます。作り手のほうは、いいものを作っているのに誰も買ってくれない、困った困ったといっている。 私は使う側ですが、作る側も取材していますから、両方の気持ちがわかりやすい立場です。
高森 漆器を使わない理由でいちばん耳にするのは、扱いが面倒だというものです。これは私の想像ですが、作れば作っただけ売れた、かなり粗製乱造の時代があったと思うのです。その頃のものは、そうとう気を遣って扱わないといけない。 でも、いまは不景気で、清く正しく作ったものに、正確な情報を添えなければ売れにくい。ちゃんとしたものは、日々普通に使っても大丈夫です。 でもね、ただ普通に使っていいですよというと、電子レンジや食器洗浄機に入れる人が出てくる。いまの暮らしの"普通"をふまえた丁寧な説明も必要でしょう。 私は日本国民全員に漆の椀を一つ持って欲しいなんておこがましいことはいいません。ここにいらした方が一人でも理解してくれれば、周辺に必ず広がると思っています。器を買って、内緒でこっそり使う人はいないでしょう。ましていいものを買えば、必ず人にいいますから。 ほっておけば一人も増えないかもしれないけれど、私などの作業で一人でも二人でも漆の使い手が増えればありがたいと思っています。私にはそのくらいの力しかありません。
高森 確かに、そう安くはないです。 私は、生活道具として不要な手間は省いてもいいと思っています。職人の仕事は、かなりの部分が手間賃で計算されるようですから、伝統的な技法のみにこだわらなくてもよいと思うのです。もちろん、いわゆる"手抜き"は困りますが。 ただ、見えない中身について、木地はどうか、下地はどうなっているか…、一般の人々が考えている作り方と違う場合は、特にその作り手の考え方や工程などを、可能なかぎり伝えるべきだと思っています。いま欲しいのは、そういう説明だと思います。 それから、漆を買ってくださいといいながら、展示会などで手を触れるなというのは最悪ですね。漆は手に持って、口に触れて気持ちがいいものです。それを触らせもしないで買えというのは無理というものでしょう。 買う前に使ってみることができれば理想的だと思います。
高森 産業として、といわれると、私には手に余る問題で、なんともいいようがありません。 ただ、ここ(スペースたかもり)で使い手と作り手をつないでいる限り、全然暗くない。皆が幸せ、という感じです。外に一歩出ると暗いんです(笑い)。 あそこに椀が重なっているでしょう。手塚英明さんの「畢生椀」という椀です。昨年、雑誌で紹介されたのですが、電話での問い合わせがいまだにあるんです。 飯椀と汁椀それぞれ、この6種類の大きさのものを持っていれば、生涯、自分の手に合った漆の椀で、みそ汁とご飯を食べることができると考えられたものです。2、3歳からだんだん大きなものを使っていき、成年を過ぎて年老いてきたら、逆に小さなものに戻っていく。 値段も手頃なので、出産祝いなどに贈る人が多いですね。あの器を贈られたお子さんの親は、じゃあ自分たちも漆器を使ってみようかと思うかもしれない。一人が持つと家族に広がる。この場でそういうことがあるとすれば、他のギャラリーでも同じようなことが起こり得ると思う。 そんなことに希望を見い出しているのです。
高森 ものって、ものそのもののよさをストレートに伝えるより、その周辺の物語を添えて紹介したほうが理解していただきやすいんじゃないでしょうか。
高森 私は「孫子の代まで使える」とはいいません。「自分の一生ぐらいは使える」といっています。 だから、ちょっと剥げたからとマジックで塗ったりしないで、すぐに相談してください、と。修理しながら使えば、そんなにお金もかからないで、一生使うことができます。
高森 私自身は東京生まれの東京育ちですが、親が輪島の出身のせいか、うちでは漆器は特別のものではなかったのです。子どもの頃のおやつは漆の器に入っていました。 みそ汁は漆の汁椀で飲んでいましたが、具が貝や骨があるものの日はやきものだった。そういうことが普通でした。 ところが、自分が所帯を持って、友だちが遊びに来て、漆を出す。何気ない会話から、「あれ、漆って、みんなの家にはないのかな?」とだんだんわかってきました。いつから興味を持ったかといわれてもはっきりしない。親と一緒にいる間は、親の背中越しに漆を見ていた感じです。 漆を意識するようになったのは、やっぱり自分で買えるようになってから、30歳前後からでしょうね。
高森 日常的にいちばん多く使っている食器が漆器です。 まず、ランチョンマット風の敷き板。6〜7ミリ厚さの平らな板に布を貼って漆を施したものですから、傷など気にせずに気軽に使っています。 汁椀、飯椀、箸、取り皿はみんな漆だし、煮物なんかを盛るのも漆ですね。あとはやきものの小皿や小鉢があるくらい。 食卓も、仕事机も、傷を心配せずに使える仕上げの漆です。
高森 多分、書くことと展示会と、両方をほそぼそとやっていくんでしょうね。私、書くほうが本業と思ってるんですけど、年のせいか、最近疲れるんです。 それに、現物のご紹介のほうが、反応が目に見えるというか…、役者の人がよくいうでしょ、舞台は反応がすぐ返ってくるから楽しいって。展示会は文章に比べ、そういう妙味がありますね。 ただ、私が書いたものを読みました、といって来てくださる方もあって、そういう方はぶらっと寄る方とはやはり違うんです。話し込むうちに、紹介した作り手や、作られたものについて、さらに深くわかってくださる。それもうれしい。だから、両方やると思います。 来年は、もう何年も前からいわれている書籍の原稿書きに本気で取りかからなければ、と思っています。展示会は少し減るかもしれません。