|
私が34才の時、ストックホルム国立東洋博物館で、展覧会を催す好運に恵まれた。その時招いて下さった館長がDr.ヤン先生で、彼の専門は中国宋磁であり、世界的に有名な方だった。
彼の導きにより、私は中国の宋時代の工芸品に興味を持ち、器の品格、品格の条件、シンプルな形、重さ、手触りの良さを手に取り学んだ。中国の歴史を少しずつ永々と遡り、その度ごとにショックがあり、今ではB.C.3500年の紅山文化の素朴で暖かい玉器まで、素直に私の心に入る。
1976年以降毎年、妻の美佐子とヨーロッパを巡った。1989年のヴィクトリア&アルバート博物館まで10ヶ所の博物館で漆作品の展覧会を催し、その度、館長やコレクターの家に招かれ、ヨーロッパの本物の文化に触れた。その中で銀器やガラス器のレベルの高さに驚いた。
銀器は板金の技術で形が作られる。歴史は古く、今から5千年前のメソポタミアで作られた銀器「ソースカップを持つ牛」がメトロポリタン博物館に展示してある。トルコのアナトリア地方に旅した時は、地元の博物館で8千年前の銀のカップを見ることができた。
日本は蒔絵の技術がある。金・銀を薬研(やげん)にかけて粉末にし、漆の面に付着させる。再び漆を塗り、研ぎ磨く作業をくり返して仕上げる技術である。板金以上に形が自由である。
日本人は賢いと喜び勇んで、器に穴をあけたのが、この「銀地水玉透鉢(ぎんじみずたますかしばち)」である。仁清や永楽が陶器に穴を空け、鉢にしているのを見たのはこの作品を作った後だった。
この「銀地水玉透鉢」は、ニューヨークの有名なコレクター、アービングさんがお買上げになり、1993年のメトロポリタン博物館の特別展「東アジアの漆」に出品され、そのままメトロポリタン博物館所蔵となった私には記念すべき器である。
鈴木 睦美
|