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うるしの学校

マイ工房漆教室 仕方なく始めた漆教室

 東京・立川の住宅展示場の一角に黄色い建物のワークショップ108がある。1階は雑然とした木工場で、そこを横切り、階段を上がった右の突き当たりの部屋が、マイ工房漆教室だ。決して広いとはいえない部屋に、机が2つと椅子が6つ。生徒さんは総勢6人だから、全員集まると、先生は隅のほう、風呂の前の丸椅子に座るほかない。どうやら、そこが定位置らしい。窮屈そうに見えるが、宮野智之先生はいたって居心地がよさそうである。
● ● ●


宮野智之先生
 この漆教室、今年の5月で満12年になるのだそうだ。そもそもどうして漆教室を始めたのか、宮野先生に質問すると、「間違いだったんです」と意外な答が返ってきた。
 「この部屋が借りられるという話があって、私は自分の工房にするつもりでその話に乗ったんです。ところが借りるためには条件があって、ここで教室をやらなきゃいけないっていうんです。私はそんな条件知らなかったんですよ。まあ、すぐに生徒さんなんか来ないだろうと高をくくっていたら、3人も来ちゃった。それで、仕方なく始めたんです。教えるつもりなんか全然なかった。その3人のうちの2人が、いまでも通っていて、有本さんと石黒さん」



教室最古参の有本暎子さん
 部屋の反対側の隅で話を聞いていた有本暎子さんが、「あの頃は、教えるほうも習うほうも初めてですから、大変でしたよ」と笑って話に参加する。
 有本さんは鎌倉彫を習っていて、これはいまでも続いている。ただ、鎌倉彫は塗りは専門の先生に出してしまう。だから、漆をやりたいと前から思っていたのだそうだ。
 「この年ですからいろんな趣味をやりました。でも、いまになってみると、余計なことはやらないで、ずっと漆をやっていればよかったなと思います。孫たちが来ると、自分が作った器で食べさせるんです。これですか? これは乾漆の鉢ですね」


有本さんと同期の石黒広洲さん
 もう一人の最古参、石黒さんはもともと木工が趣味だったという。
 「自分の趣味の仕上げに漆を扱えたらいいなと思って始めたんです。木の感じを生かせるから、けっこうハマッてるかな。たまに自分の家の庭の木で作ったりもしますよ。自分の作品がもう100点以上あるんじゃないかな。漆器は全部自分で作ったもので間に合っています。ただ、最初に作ったものは、やっぱり大事に使いますね。年にいっぺん、正月ぐらいしか使わないですね」

 この教室に入ると、まず丸盆、次に椀、そして重箱を塗る。ここまでがいわば必修である。つまり丸いもの、四角いものを経験する。さらに、木地には指し物、挽き物、曲げ物の3種類あることがわかるわけだ。あとは自由。蒔絵をやる人、乾漆をやる人、とにかく技法にはとらわれない。
 「私自身、そのときの気分で作りたいものを作っています。什器は什器ですけどね。ひとつの技法に絞るほど得意なものは、まだないです」


教室の様子

生徒さんから「次はこういうものを作ってみたい」といわれ、それを宮野先生自身が知らないということだってあるそうだ。実は、宮野先生は「什器のマイ」という漆器の製造販売会社の代表でもある。その関係で各産地に知り合いの作家や職人がたくさんいる。そこで自分が知らない技法については、知っている作家、職人さんからまず先に教えてもらう、ということになるのである。


野間さんに指導する宮野先生
 「もともと私はそうやって漆を覚えてきたので、特に師匠とか先生はいないんです。だから聞いて教えてもらうのは苦じゃない。まあ、相手はいい迷惑だと思いますが。生徒さんたちと一緒に、面白そうなことをやってる作家さんや職人さんに会いに行って、直接教えてもらうこともあります。いま山中に行こうという話があって、今日これから旅行のことを決めなきゃいけないんです」


 技法にとらわれないといっても、この教室の基本は「布着せ本堅地」(地の粉などを生漆に混ぜ、さらに布で補強する下地法。工程数が多く、しっかりした下地ができる)。その部分の手抜きは許さない。


わがままな生徒、中澤美喜子さん
 中澤美喜子さんは漆歴3年。この中でいちばんわがままな生徒を自認する。
 「来たくなきゃ来ないし、くたびれたら帰っちゃうし、もう、3時間が限度。趣味としてはちょっとキツイかな。私が続いているのは、一所懸命やらないから、成り行きだから。ただ、ウソがないでしょ、自分で作ってるわけだから。そういう意味ではいいかなと思って。デパートで売ってるのを見てるだけのときは、こんなに大変だとは思いませんでしたよ。自分でやったら、安くは売りたくないわね」

 2年に1回ほどのペースで、生徒さんたちの作品の展示即売会が開かれている。宮野先生によれば「自分たちの手を上げるために作ったものだから、値段は原価プラスα。お買い得ですよ」ということだ。


佐藤文孝さんは漆歴2年半
 中澤さんより半年ほど遅れて教室に入ったのが佐藤文孝さん。佐藤さんは最初金繕いを教えてもらいたくて、教室を訪ねたのだそうだ。
 「先生といろいろ話したら、金繕いも漆の技法のひとつに過ぎないことがわかって、それなら漆をやろうかと。私の場合、もう定年になりまして、自営業として仕事はしていますが、いつ時間をもてあますようになるかわからない。だから、時間がかかるもののほうがいいんです。それから、私は自分の手でものを作った経験がまったくない人間なものですから、何をやっても面白いんです」


フレッシュな野間正典さん
 野間正典さんは始めて2カ月というから、まさにフレッシュマンである。以前やっていた食べ物屋を、器を作るということも含めて、またやれないかと考えての参加だという。
 「まだ、全然わからないです。言われたことをやっているだけで。前に陶芸をやっていたことがありまして、粘土をこねたりしたのですが、あのときは途中でいやになりました。今度は続きそうな・・、いや、まだわかりません」


プロを目指す奥本志央さん
 奥本志央さんは教室歴は1年だが、高岡短大で漆をやっていた。奥本さんの場合、漆は趣味ではない。はっきりプロを目指している。だから厳密にいえばほかの生徒さんとはちょっと違う。プロを目指すことについて、宮野先生はこう言っている。
 「はっきりいって食えない。やめたほうがいいです。趣味でやったほうがいい」
 しかし、奥本さんの考えは変わらないようだ。
 「高岡のあと、漆を離れて竹工芸の勉強をしていました。そのあと、海外青年協力隊に入って、パキスタンに3年ほどいました。日本に帰ってきて、これからどうしようと考えて、漆をやろうと。竹は、作業自体は好きですが、何を作っていいかわからなくて、これからずっとやっていくにはどうかなと思って。作家になるとか作品を作るというより、使ってもらえるものを作っていきたいと思います」

 教室では、奥本さんが初めて図面を引いて発注した皿と鉢が出来上がってきていて、生徒さんたちが侃々諤々やりはじめた。
 「きゃしゃな感じでいいと思うわ」「きゃしゃですか、これ?」「何を入れるつもり?」「決めてないんです、何にでも使えるかと思って」「うちならスパゲティーか」「だいたい何色になるの? 形はサラダでもいいと思うけど、色によっても違ってくるわよねえ」・・・・
 宮野先生は黙って聞いている。ときどき「○○さんはどう思う?」なんて議論をけしかけている。宮野先生の教育方針を思い出した。・・・・「見てるだけ」。

文: 岡崎 保



奥本さんが初めて図面を引いた皿と椀について侃々諤々の教室風景

什器のマイ(マイ工房)
東京都立川市柴崎町4-13-1-101
TEL/FAX:042-523-1907
http://www.mai-urushi.gr.jp
*2004年3月20日に「マイ工房」が立川北口の住宅展示場内から南口柴崎町へ移転。

●宮野智之先生のプロフィール
昭和28年生まれ。高校卒業後、ドイツ語の勉強のために短期間ドイツに滞在。そのときに「自分は日本のことを何も知らないと痛感」。帰国後、印刷会社でパッケージデザインなどの仕事をしながら、能など日本の伝統文化に興味を持ちはじめ、その一環として漆にも関心を持つ。仲立ちをしてくれる先生とめぐり合い、輪島の作家や職人たちと知り合う。輪島と往復しながら、技術を身につけ、独立の準備として、いくつかの会社に籍を置く。30歳で漆器製造販売の「什器のマイ」を設立し、独立。自分でデザインした漆器を販売する会社で、最初は作家というよりプロデューサー的な仕事が多かったようだ。1991年に、ひょんなことから漆教室を始めることになり、現在に至る。

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