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Collect 2008  日時:2008年1月25日(金)〜1月29日(火)/開催場所:Victoria & Albert Museum, London, UK

Collect2008に参加するにあたって

酉福ギャラリーは1993年から東京で美術工芸品を扱っています。陶芸、漆、金属、ガラス、織物、木工、七宝などです。これらは皆生活から生れたもので、人の手を経て作られるものです。日本人は古来、この手の働きを大事にし、日常生活に欠かせない物を作り、その形を造形的に極め、美術品の領域にまで高めました。この美意識は生活に結びついたものであるから用の美と称されています。だから身の回りに置いた時に心を癒す形として愛用されるのでしょう。そうしたところから、今日その美は単に使う為にだけでなく、空間を飾るものへ進化しています。今回Collectに出展する目的は、現代日本を代表する工芸作家の作品を世界の方に見てもらいたいのと、日本人の優れた感性を多くの美の愛好家により理解してもらいたいからです。

2008年1月 酉福店主 青山光雅

Collect2008を彩る日本の美術工芸作家たち 青山光雅(あおやま・みつまさ=酉福店主)
長江重和 市野雅彦三原 研
家出隆浩 鈴木睦美武山直樹

長江重和 (ながえ・しげかず)
長江重和 鋳込みによる陶芸作品は、長い間この世界では本流とはいえなかった。本来大量生産向きの技法であり、明治以降ヨーロッパから導入された技法でもあったので、一段低くみられていたのだ。ところが、その流れを長江は一変させた。家業の鋳込み工場での作陶生活から考え出した長江の技法は、「窯の熱でへたる」ということを逆手に取ったものだった。窯の熱を活用し曲線を生み出したのだ。1997年に日本陶芸大賞を受賞したのはこの技法によるものだった。その授賞式で、長江は、「鋳込みでの受賞を意義深いもの」と挨拶した。この受賞をきっかけに数々の大賞を受けるのだが、なかでも1998年にスイスのニヨンで行われた磁器公募展での大賞受賞は長江の名前を欧州に轟かせるものになった。各地から展覧会の招待を受け、ニューヨーク、ローザンヌ、ミュンヘンなどで作品を展示することとなった。2001年に行われたニヨン磁器展では審査員に招聘されたが、その時の記念講演で長江は、「技法は皆のものだから公開する。あとは皆さんが独自の工夫を重ね作品として完成させて欲しい」と述べ、聴衆からの質問に答え大きな反響を得ていたのが印象的であった。

今回のCollect2008では、“列なりのかたち”と題し、これまでの“削ぐかたち”をさらに発展させ、つまり削ぐかたちを複合的、重層的にしたのだ。列なりの部分は釉薬で接合させたという。これにより、より複雑で高度な形を表現することに成功した。もっともかなりの難度だったようで、私は、2ヶ月から3ヶ月に一度瀬戸を訪れ進捗状況をつぶさに見てきた。春から夏にかけては、窯での焼成に失敗した。夏から秋にかけては形は出来たが、全体の構成に難があった。秋から冬にかけて試みで初めて完成品ともいえる作品に出来上がった。嬉しかった。その一点をCollect2008にて初公開できるのが楽しみである。

関連記事:「現代日本のやきもの事情」=長江重和

酉福での展覧会:長江重和新作展「削ぐかたち」

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市野雅彦(いちの・まさひこ)
市野雅彦 市野雅彦の窯は丹波(兵庫県)にある。丹波というと何といっても篠山のお城と城下町を思い浮かべる。この地を長く治めたのが青山氏であった。東京に青山という地名があり、赤坂から渋谷へと抜ける大通りの名前にもなっているが、この青山氏の屋敷があったのが名前の由来となっているのだ。偶然にも私の姓が青山なので、親近感をもっていたし、ギャラリーの場所も青山なのでなおさらだった。だから市野の作品にも長い間興味をもっていたが、不思議に出会いが無かった。時々酉福まで来てくれるのだが、丹波で会う機会がなかった。一度行って見たいなと思っていると、展覧会を酉福でという話が持ち上がり、それでは、工房を見に行きますよということで、ついに丹波の地を踏むこととなった。これがもう数年前であるが、不思議なことに正確に何年と憶えていないのだ。

その年の、というより、いつの年か憶えが無いのだが、3月ごろだったろうか、ついに丹波へ。懐かしいような心持であった。大阪から福知山線に乗った。初めての丹波だが初めてと言う感じではなかった。実をいうと私の祖母の一人がここの出だった。子供の頃、祖母の親戚から松茸や黒豆が送られてきていたのを憶えていた。駅から工房へ。辺りの景色を眺めつつなだらかな山々の重なり、少しのぼりになっている昔からの街道筋、点在する窯元の軒先など、どこかで見たような風景であった。そのような話を道々市野と話した。彼の顔立ちも私から見るとまったくの赤の他人というものではなかった。遠い親戚のような親近感を持っていた。

工房に着くと、簡単な説明があり、すぐに酒宴となった。「いのししには、ちょっとおそいのですが、いい肉がはいりましたので」と牡丹鍋の準備をすすめる。私としては、もっとやきものの話とか今後の方向についてとかの打ち合わせをしたいと思いつつも、そのいのししという響きにすでに心は動き始め、さあ、食べようという態勢にはいっていたのだ。 大きな鍋に牡丹のように盛り付けられたいのししの肉。3月とはいえ、丹波はまだ寒い。その寒さを吹き飛ばすような良い匂いが部屋を温めていた。

この日以来、市野との交誼がふかまるのだが、いつ訪問しても、何か美味しいものをという彼の心配りには感服せざるをえない。と、同時に自分の食にたいする気持をおさえられないというある面だらしないような気持に対する悔悟もある。しかしだ、陶芸家の心意気としては良しとしよう。私自身も含めて。

今回のCollectには、市野の野心的な新作を展示する。存在感あるやきものだ。大きさも申し分ない。ヨーロッパでの反応が楽しみな作品ばかりだ。

酉福での展覧会:市野雅彦 作品展

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三原 研 (みはら・けん)
三原  研 2007年の初夏のある日、三原の作品がメトロポリタン美術館から買い上げられたという連絡がニューヨークの取引先からきた。これまでいろいろな美術館からの買い上げがあったが、メトロポリタンからはこれが始めてであった。そして2008年にはNYでの展覧会が組まれている。その先駆けとしてのロンドンでのCollect出展であるだけに、この知らせは私にとって本当に嬉しい知らせであった。それは、三原の作品が正しく評価されたということと、自分のこれまでに果たしてきた役割もまた、評価されたということであった。

最初に三原に会ったのは、もう10数年前になる。島根県の松江市に開かれたお茶の集まりに参加した時に、松江郊外に窯を構える三原を訪ねたのだ。その時は、まだ個展の話は無く、近くまできたので寄りましたというような訪問だった。だから、初めて見た彼の工房と自宅のまことに現代的な佇まいには驚いたものだ。それまでどちらかというと伝統的な陶芸家しか見てこなかっただけに、新鮮な驚きを感じ、すぐに三原とその作品の虜となった。そして作家と話しながら、彼のまじめでひたむきな態度に大いに感銘を受けたのだ。

1997年に初めての個展を酉福で開き、以降毎年のように展覧会を開いた。最初のころは、食器中心であったが、すぐに、これは食器より造形の展覧会のほうが三原には相応しいと思い、最近まで造形に絞った展示をお願いしている。また、この作品の流れから海外ですべきだという判断もした。そのための準備をすすめることにしたのだ。これは正解であった。NYの著名なディーラーからNYでの個展開催の申し出があったのだ。自分で仕切るということも考えたが、やはり、NYに精通している方と組むことのほうがよいと思ったのだ。というのは、私はシカゴについては多少知っているが、NYはあまり得意ではなかった。地の利を持った方が必要だ。自分の勉強にもなる。

今回のCollectでは、NYで好評であった形から作品を選んだ。ヨーロッパには初登場となる。焼き〆の単純な形はNYでは受け入れられたがはたしてヨーロッパではどうであろうか。楽しみな選択である。去年の酉福での展覧会から本焼き2度の作品を展示している。これまでの灰色に包まれた作品から色の付いた作品へと移りつつあった。この本焼き2度で得られる特殊な色と景色は作品に彩りと深みを与えることに成功している。形の単純さ故にこれらの彩りが引き立つのだ。聞くところに寄れば、2008年のNYでの展覧会を待っている人たちが既にいるらしい。ヨーロッパでもこの動きが加速するものと期待している。

関連記事:「現代日本のやきもの事情」=形の求道者

酉福での展覧会:三原研 陶展─起源07─

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家出隆浩 (いえで・たかひろ)
家出隆浩 ある時、金工作家と称する人が酉福に来た。作品を見て欲しいという。私は、時間の許す限り、どのような方にもお目にかかり、作品を拝見するという方針でいる。作品を見、話を聞き、思うところをお話するようにしている。その一人が家出であった。面白い名前だということと、作品に惹かれた。その日はいろいろとお話をし、「一度工房におじゃまします」と答えた。

数日後、埼玉県の武蔵嵐山にある家出の工房を訪ねた。東京の池袋駅から東武東上線に乗った。この東上線には思い出がある。高校がこの沿線にあった。志木という駅だ。いまでは大きな市になっているが、当時はまったくの郊外にある小さな駅であった。池袋から急行で約20分ほどだったか。電車は古い形の車両で、床は木であった。ともかくその東上線にまたのるとは思わなかったが、志木を越えて武蔵嵐山駅まで行った。急行で約1時間だった。途中志木に止まったが、昔の面影はまったく無かった。近代的な駅になっていた。

駅から車で15分ほどだろうか、家出の工房兼自宅に着いた。挨拶もそこそこに早速作品を拝見した。これまでの伝統工芸作品が部屋に並べられていた。一つ一つ丁寧に作られていることが見て取れた。かなりの技芸を持っていることが分かる。どれもゆったりとしていて先鋭なところがない。よほどの人格者なのだろうか。大らかであり、窮屈な感じを受けない。だが、どうも私には納得できないものだった。「これらの作品はとてもよく出来ていますが、私にはあまり魅力的に映らないので」と率直にお話した。「技術もあり、質も高いのに」と訝る私に、家出は最近の取り組みを見せてくれた。それは、細い針金のような金属の線を綾織にし、布を織るように金属を織り込んだ作品だった。「これは面白そうですね、でもこの額にはいっているのが気に入りませんね」と思わず思ったことを言ってしまった。 自分でもいつもおもうのだが、この思ったことをつい口にするという悪癖がある。「まったくもって失礼なことを申し上げたが、正直この額は折角の作品の伸びやかさを阻止しているようだったので」と言った。家出はそれではこの額を外しましょうと、額から取り出し素の作品を見せてくれた。「これは良いですね、これで来年展覧会をしましょう」と叫んでいた。

こうして家出との二人三脚が始まった。展覧会の準備、作品の出来栄え、値段、題、などなど、二人で相談しながら進めた。これまでいろいろな作家と相談しながら個展の準備をすすめるが、作品作りまで立ち入ってしまったというのは私にも初めてであった。それから何度も武蔵嵐山に行った。行くたびに新しい作品が出来てきた。出来たものを私が見て、うんとかいいやとか言いながら、改善点を是正した。何か責任を痛感した。幸いにして最初の個展は大好評であった。ほっとした。ほっとしたので、次もがんばろうと思い、第一回は平面だったので、二回目は立体に挑戦しようということにした。金属をあみ、それを立体として仕上げる。この目標に家出は果敢に挑戦してくれた。本当に素晴らしい。私も興奮した。出来上がった作品をみてまた興奮した。素晴らしい。この作品であれば売れること間違いないと思った。一年後の2回目の展覧会が始まった。まったく売れなかった。去年買ってくれたお客さまも今回は素通り。何故だ。何故売れない。と思いつつ長めの会期も残り少なくなった。なったが売上がまったくたっていない。大いに焦ったがどうしようもない。こうすれば、ああすればという話が二人の間で多くなりやがて終末。結局全滅であった。労多くして実り少なし、いや実り無しであった。残念、無念。どこが悪かったのだろうか。いやどこも悪くないはずだ。私からみても作品の出来栄えは文句なしであった。だが結果は結果だ。反省。

このような個展の結果に作家本人も落胆したが、私も衝撃をうけた。自分自身にがっかりしたのだ。暫くおとなしくしていようと思った。ところが、ある日家出から電話が入った「今度高島屋の文化基金からタカシマヤ美術賞を頂戴することになりました」という。大変立派な賞で今回で19回目になるらしい。賞金もでるということで、受賞対象はこのあやおりがねだそうだ。展覧会ではまったく売れなかったが、この賞で帳尻があった。それに私が撮影した作品の写真もつかわれるという。ああ、結果よければ全て良しか。

Collect2008では、このあやおりがねに伝統工芸の作品を展示する。ヨーロッパのお客さまにもきっと受けると信じている。自分自身を信じなければどうして他の人を説得できるのだろうか。展覧会の後に感じた気の迷いが恥ずかしい。

酉福での展覧会:家出隆浩作品展 ─あやおりがね、ほむら─

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鈴木睦美 (すずき・むつみ)
鈴木睦美 鈴木睦美漆論――美の源泉を探る「睦美十選」=コエランス刊より

鈴木睦美さんの漆に最初に出会ったのは1992年頃だろうか。大阪のホテルにある小さいギャラリーで個展が開かれていた時だ。偶然貰った案内葉書の作品に惹かれ会場を訪れたのだ。初めて見る彼の漆だった。棗、椀、向付などが展示されていたが、なかでも稲穂のお椀に目が止まった。蓋を開けると、そこに稲穂が蒔絵で描かれている。真塗りの黒に鮮やかの黄金色。盛り上がった稲穂が実って光っている様。「欲しい」と、思った。それから、寿という文字が描かれている棗。細かくいろいろな書体で描かれた「百寿」と銘付けられた大棗だ。すっきりとした黒の地に寿の文字。抑えた美しさが際立つ。大ぶりな姿も品が良い。蓋を開ける。空気が少し動く。中の黒が一段と冴えている。漆黒に抹茶の緑が目に浮かぶ。中の空気を少し外に抜きながら閉まる蓋。完璧だ。この棗を母の喜寿の祝いにと求めた。

すると、お店の隅で座っていた一人の男がゆっくりと立ち上がり作品の説明を始めた。おかっぱ頭で着たきりといった感じの服装。大きな顔に太い胴体。ごつい手。作品から受けた印象とは違う雰囲気だ。彼の説明を聞きながら、少しずつこの人が作家なのだと理解した。どのような説明を受けたのかは忘れたが、とても熱心だった。私が稲穂のお椀を欲しいと思っているのを承知しているかのようでもあった。しきりに京都にある工房に来て欲しいと誘われた。私はというと、何しろ長く日本を離れていたので京都のことを忘れかけていたこともあり、この興味深い申し出に作家の工房を訪ねる約束をした。

工房は京都の北にあると聞いた。円通院とか“みどろがいけ”とかいった地名を伝えられていたが、それが何処かも分からなかった。車の運転手さんに任せ、ホテルから北を目指した。やがて鴨川が見え、それに沿って車が進む。ゆったりとした鴨川の流れ。まだ花をつけていない桜の木々。松の緑。川沿いに散策する人影。向うに見える山々。景色の中に懐かしさを見る。記憶の底に沈殿していたものが刺激を受け湧き立ち始める。川を過ぎ、住宅街を抜けると車は狭い山間の坂道に。坂を越えて少し下り始めると、その左に工房があった。

車を降り、工房へつながる階段を登り始めた。登りきり左に折れる。玄関へ通じる路地。抜けると古い開き戸の玄関。入ると土間。作家の感性に支配された世界への入り口。あたかも計算されているかのごとくそこに導かれた。暗い玄関から廊下を通り座敷へと案内される。座敷は、10畳ほどの広間と6畳の小間に濡縁。その奥に板敷きの部屋がつながる。座敷からその板敷きは広い空間を形つくり、ガラス戸全面から庭の木々を超えて比叡山が望める。座敷に使われている木材も本物だが、その寸法も正に適寸。窓からの光は適量で、小間横の障子窓からは外の空気が入る。だから居心地良く、眺め良く、寛げる空間となる。すべてが作家の美意識に基づいて形作られていると気付いた時にはもう「あの稲穂の椀を貰っていこう」と、決めていた。

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酉福での展覧会:鈴木睦美漆展

本:「睦美十選」(コエランス刊)

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武山直樹 (たけやま・なおき)
愛知県豊田市にある武山直樹の工房を訪れたのは2年ほど前になるだろうか。自宅の車庫を改造した工房で、壁全体を白く塗ってあった。研ぎ澄まされた空間という印象だ。私は、展覧会をする時には必ず作家の工房を訪問する。工房の佇まい、雰囲気、道具類といったものを拝見したい。その場で見ることによって作家の制作を感じ取りたいのだ。感じ取ることによって、作家の感性にも触れることができると思っている。作家の感性にふれることによって、作家の意図を理解し、作家の内面をも垣間見れる。そこまで見る必要があるのかという方もいるかもしれない。見ないほうが良いかもしれない。だが、私には、見る必要があった。なぜなら、自分では物を作らないが、物作りには興味があった。それがわかったほうが、お客さまにも説明し易い。お客さまも理解し易いのではないだろうか。

昔、アメリカのシカゴでPOS(販売管理システム)を販売していた。大手のレストランチェーン向けのものだ。生産工場は日本にあったので、年に数回は工場を訪れ、現場の工程を見、生産担当者と打ち合わせをした。造られている現場にいるといろいろなことが分かる。それが販売に大いに役に立った。もちろん、工場で造られる機械とこのような七宝の工芸品とでは内容が違うかもしれないが、やはり商品には違いない。このPOSの販売責任者をしていた頃、まったく担ついでいる商品が売れなかったことがあった。これは大手チェーン向けではなく一般レストラン用の汎用機でのこと。販売予測によって大量に作られた機械が日本から入ってくるが、まったく売れない。だから倉庫には山と積み上げられた。その倉庫にも入らなくなるほどだった。仕方なくもう一棟倉庫を借りた。それでも在庫は積みあがった。毎日、倉庫の空を見上げ、不謹慎ながら飛行機が墜落しないかともおもうほどであった。ある日、その倉庫に行くと、中の一台の機械に目が止まった。その一台から光が出ているような気がしたのだ。これは何かと近ずくと、機械から声がきこえるようだった。「私を売ってください。もう用意はできています」と言っているように思えた。 これは大変だと、早速、全米の営業担当者を集めてこの話をした。全員感激した。それからのことはいうまでもなく、結局倉庫にあった在庫の山はたちどころに消えたのだ。

七宝は、金、銀、瑠璃などの7種の宝を再現したものでこういう名前になったともいわれている。伝統技法の一つであるが、なかなか現代の生活の中では使われにくい工芸の一つだろうと思う。しかし、武山はこの七宝を見事に蘇らせた。新しい息吹を与えた。将に生まれ変わったのだ。白雪姫の話に出てくる王子さまの様ではないか。眠っている姫に口付けをするとその姫は蘇るというおとぎ話があったが、将にその話にでてくる王子さまだ。だから私はこの王子の出現によって七宝は新しく蘇るものとおもう。その意味で今回のCollect2008での展示は意味あるものとなろう。

酉福での展覧会:武山直樹 七宝展

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